青い童話
あるところに、暗ーい暗ーい沼がありました。
そこはじっとりと湿っていてだれも近づこうとしませんでした。
そこにはとても醜い化け物が潜んでいるそうです。
化け物は全身がずっぽりと、沼の黒々とした水に隠れていて、
見えるものといったら深くて青い髪の毛のようなものだけでした。
化け物の姿は見えないけれど、沼全体の陰鬱な空気は、
その化け物が原因だということはよくわかります。
髪の毛がじっとりした風に吹かれてゆらゆら揺れます。
木の枝にとまっていた鳥は、まるで嫌悪するようにバサバサと空の彼方に逃げていきました。
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天使の女の子はどうしてここへやってきたのかわからなかったけれど、
とにかく気付いたときには、目の前に沼がありました。
沼は底がまったく見えないほど濁っていて、周りには、植物は何一つ生えていません。
天使の女の子は不安になって、沼を囲んでいるうっそうとした木々やぽっかりあいた空を見渡しました。
けれど、小鳥はおろか動物の息吹はどこからも聞こえません。
ただ一つ、沼の真ん中に青いものがありました。
それは、青とは呼べないほど、くすんで怪しげでした。
天使の女の子は怖くなりました。
しかし、それ以外には、帰る方法など見当たらないのです。
それに、とても不思議でもありました。
どうしても触れなくてはならないような、そんな気がしてくるのです。
沼は、からだや腕をめいっぱい伸ばしても届かないほどの広さでした。
女の子が羽根のある天使でなければ、触れることなど不可能です。
天使の女の子はふたつの羽根を動かしました。
本来ならパタパタと風を切る音がするはずなのですが、
沼が音を飲み込んだのか、異様な静けさだけが残されました。
天使の女の子は青いものの上まで飛んでいきました。
そこには岸にいたときよりも、いっそう恐ろしさや汚らわしさがありました。
天使の女の子にもそれが伝わったでしょう。
眉を寄せて、険しい顔をしています。
それでも女の子は沼の青黒いものに手を伸ばしました。
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指先に、泥で濡れた青いものが触れそうになったときです。
天使の女の子はいつもの見慣れた景色の中にいました。
女の子は空の上にいて、下の方には大きな古い城があります。
とても不思議な体験でした。
夢なのかもしれません。
けれど、天使の女の子はあの恐ろしくて奇怪なものについて、
胸の内に秘めておくことなどできませんでした。
城の中には、銀色の髪の吸血鬼の妖怪と、深緑の髪の狼男の妖怪と、
青色の髪の透明人間の妖怪が暮していました。
天使の女の子は、この3人の妖怪たちと、とても仲が良いため、毎日のように遊びに行っていました。
天使の女の子は、先ほどの夢のような体験の話をしました。
銀色の髪の妖怪と深緑の髪の妖怪は、首を横に振って、「聞いたことがない」と答えたけれど、
青色の髪の妖怪は、「ああ、知ってるよ〜」と言いました。
この透明人間の妖怪は、この城で暮すようになる前、世界中のいろいろなところを旅したそうです。
だから、知っていたのかもしれません。
「一体、なんなの?」
天使の女の子はからだを乗り出して聞きました。
あれは怖かったけれど、それ以上に不思議で、気になってしようがなかったのです。
「それはねぇ、とてもとても醜い化け物なんだよ。さわりそうになったんだろう?
よかったねぇ〜、さわらなくて。あれに触れたら、目が腐って赤くなって、血がダラダラ流れてしまうんだよ。
手だって、腐ってその沼に落っこちちゃったかもねぇ」
青色の髪の妖怪は目を細めて語りました。
見ようによっては笑っているようにも見えます。
天使の女の子は、青色の髪の妖怪が言ったことになっている自分を想像して、ぶるぶる震えました。
その様子を見た他の妖怪は、「言いすぎだぞ」、「いくらなんでもひどいッス!」と、
透明人間の妖怪を責めました。
青色の髪の妖怪は怯える天使の女の子の髪を撫でてやりました。
金色のふわふわした髪の毛です。
「ねえ、その化け物は一人ぼっちなのかなぁ?」
天使の女の子は頭を撫でられていくらか落ち着いたのか、すぐそばにいる青色の髪の妖怪に尋ねました。
「そうだねぇ。きっと、ずっとずっと一人ぼっちだよ」
青色の髪の妖怪は笑っていました。
そして、金色の髪から手を離しました。
「それは、とても、さみしいね。つらいよね?悲しいよね?」
天使の女の子は、まるで自分のことのようにさみしそうな表情になりました。
青色の髪の妖怪が語った、恐ろしい話のあとの様子よりも、ずっとつらそうで儚げです。
妖怪たちは返す言葉が見つかりませんでした。
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沼の前には奇妙に縦に細い後ろ姿がありました。
それは、大衆の中でわざと愚かなことをして見せたあと、舞台の裏に立ち尽くす道化のようでした。
その道化は青色の髪の毛を持っていました。
沼の中の妖怪にそっくりな、暗くて陰鬱でくすんだ色です。
青色の道化は、沼の上から、青い髪の毛のようなものの前まで歩きました。
道化は少しも沼に沈みません。
青く汚らわしいそれは、乾燥せずに、つねに湿っています。
道化はそれを掴んで引き抜きました。
それは、この世のどんなものよりも醜く、ひしゃげて、おぞましいものでした。
きっと、これを目にしたものは、なんであろうとうなされて、夜は眠れず、一生のトラウマとなるでしょう。
道化はそれを静かに見つめて、また沼の中に沈めました。
さらに深く深く、今度は髪が見えることなんてないように。
ここへ来たものが何も感じないように。
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天使の女の子はまたあの沼の前にいました。
あのときは、沼の真ん中に青い何かしかなかったけれど、今は自分の横に青色の髪の妖怪がいます。
天使の女の子は先ほど、一瞬だったけれど青い化け物の正体を見ました。
じっと見つめていたら、きっとその場から逃げ出したくなっていたでしょう。
しかし、もしそんなことをしてしまったら、一人ぼっちの化け物はどうなってしまうのでしょうか?
天使の女の子には想像できませんでした。
ただ、だからこそ、自分はどうなってもいいから、そばでその顔を見ていたいと感じました。
近くにだれかがいる心強さはよくわかっているからです。
天使の女の子が見たのは、青色の妖怪が沼の上で化け物の手を水の中に沈めるところでした。
青色の妖怪の顔は、最近稀にすっと見せるものでした。
本当はもっと以前から持っていた表情なのかもしれません。
天使の女の子は、それに気付いていました。
しかし、あまりに瞬間的にだから、気のせいかもしれない、と思ったのでした。
こんなふうに、しっかりと捉えたのは初めてです。
さみしそうな顔。悲しそうな顔。
そっくりだ、と思いました。
天使の女の子には、あの沼の中の化け物がなんなのかわかりません。
けれど、水の中で、それは今、横にいる青色の妖怪のような顔をしているのかもしれません。
目を細めて笑う、さみしそうな顔。悲しそうな顔。
一人ぼっちはつらくて怖い。
天使の女の子は、横にいる青色の髪の透明人間の妖怪に抱きつきました。
「ポエットはそばにいるからね。まだよくわからないけど、きっと逃げたりしないから!
絶対、つよくなって、スマイルから離れないから!」
青色の髪の妖怪は目を見開いた後、目を細めました。
天使の髪は太陽の光で金色に輝き、妖怪の髪は遠い海の水面のように輝きました。
野原にはいろいろな草花が咲き乱れ、小鳥は平和を喜ぶように唄います。
アトガキ
今までのやつの再録その1。
スマポエです。スマイルには絶対こんなドロドロした部分があると思います。
そしてそれをポエットが救えばいいな、なんていうのが理想。