「そういや今日は、」

「耳の日ですねー」

ハヤタは少し怪訝そうにもえの顔を見た。

「お前なら、こういうのはぜってえ覚えてると思った」
意外だとでもいうように、鋭利な目をわずかに見開いて。

「あれ?今日って他に何かありましたっけ?」

もえのこの発言に、さらにハヤタは訝った。もえの表情を見るからに、どうやら本気でわからないようだ。
こういうイベント事には目がないと思ったが・・・。
いつもと違う反応に、少々面食らった気分になる。

「覚えてないならそっちの方がいい。」

ハヤタは手を振ってそう言い捨てると、ふいと背後を振り返った。
窓の外では、乾いた葉っぱが風に吹かれてくるくると回転している。確かあれは梅の木だと聴いた覚えがある。枝に点々と白いものが散らばっているが、まだ芽吹きそうにはない。
まだ、そんな季節なのだ。

「むうぅ」
背中を見せてしまったハヤタに、もえは不服の唸りを送る。
しばらく一人ぶつぶつと思考していたもえだが、やがて、あ、と声を上げた。

「ひな祭り!女の子のお祝いの日ですよ、ハヤタさん!私を労わらなきゃ」

四足になって、テーブルを挟んだハヤタの元までわざわざ近づく。

水を得た魚。もともと元気がなかったわけではないが、ひな祭りだと気づいた途端に嬉々として喋りだした。
ひなあられを買って、まだ未成年だけど甘酒で酔うのもいいですね、花屋に行ったら桃の花は売っているでしょうか、などなど。
あぐらという気の抜けた座り方のハヤタに対し、もえは正座に座り直してあれこれとひな祭りの計画を練っている。

「ひな祭り」
小学生までしか盛り上がらないような幼稚な行事かもしれない。
けれど、もえはもえなりに必死なのだ。その力説たるや、横で聞いているハヤタが逆に吹いてしまうのを堪えるのに必死なほどで。

ハヤタがあとちょっとで我慢の限界だったとき、横から不満そうな声が投げられた。

「ハヤタさん聴いてます?」

「ああ、聴いてる聴いてる」

聴いていたことは本当だ。ただ、何を言われてもおかしくないような聴き方ではあったけれど。
にやついた表情をもえに見せないように元に戻して、ハヤタは顔を上げずに尋ねた。
笑いを堪えながらではあったが、一つ疑問に思っていたことだ。

「そういやさ、もえは人形は飾んねえの?」

「・・・・ああ。飾りませんよ」

少しの沈黙のあと、もえはけろっとそう返した。
人形を飾るのはひな祭りのメインイベントではなかったろうか。
ハヤタは思わずもえを振り仰いだ。

「・・・・・」

声音からしても表情からしても、どうやら深刻な理由ではなさそうである。
では、なぜ?

「あ、ハヤタさん、顔がこわいですよー。小さい子が見たら泣いちゃいますよー。」

わからないことがあると気分がもやっとする。
そしてそれがそのまま顔に出てしまう癖が、ハヤタにはあった。

険しい表情のままで、それでも視線を自分からずらさないハヤタに、もえは窓の外に視線を移してから言葉を続けた。

「うーん、だって必要ないじゃないですか。ひな祭りって、女の子が素敵な男の子と結婚できますようにって人形を飾るでしょう?だったらもう必要ないですから。これ以上素敵な人には出会わないでしょうし、出会いたくもありません。あ、もちろん結婚相手として、ですよ!」

一気にそれだけ言い切ってしまってから、もえはハヤタの方に首を曲げた。

「・・・・・・・・・・」

そこには絶句しているハヤタの姿。顔を真っ赤に燃え上がらせたハヤタの姿。
もともと炎でできた彼の頭の色の違いはごく僅かにしか変わらない。ハヤタのことをよく知るもえだからわかる。
ハヤタさん、顔真っ赤だ。

「ふふふ」

自然と漏れてしまった笑い声を火種に、ハヤタの脳もフリーズ状態から解凍される。

「こんの・・・・!」
「ひぎゃっ、いやいやいやいやですよ、ハヤタさん!ハヤタさんのデコピン痛いですもん!いやあぁー!!」


そんなこんなの昼下がり。
いつしか木枯らしも止んで、梅のつぼみもわずかに、ほんのちょっとほころび始めた3月3日のこと―。






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