ぎぎぎぎぃぐぐぐぇぇぐぎぎ・・・・・
まるで傷のついたテープを無理やり再生するように、彼の記憶は巻き戻される。
ぎぎぎぃぃぃぐぐぐぎぎぎ・・・・・
しばらくすると、胸の内からは歌声が聞こえ出した。
La
LaLaLa・・・・・
幼い声。拙い音。
それは彼にとってだれよりも愛しい少女の歌声だった。
歌詞を考え出す知識は乏しくて、少女は喋ることよりもただ歌うことを好んだ。
彼はそんな彼女の音が、何よりも好きだった。
彼に耳と呼ばれるものはないから、胸で直接聴くのだ。
La
LaLaLa・・・・・
彼の頭の灯りは、もう灯らない。
明かりを必要とする「だれか」は、この世には存在しないから。
彼の話を聴くことのできた少女は、とうの昔に死んでしまった。
別に突然の病で亡くなったのではない。
彼女は愛する人に囲まれて、何不自由することなく長寿をまっとうしたらしい。
彼は待っていた。彼女の言葉を。忽然と姿を消した、彼女との約束を果たすべく・・・・
「あなたはだあれ?」
少女はふわりと舞い降りた。
彼は少女の問いに何も返すことができなかった。
彼女だった。ずっと、ずっと待っていた、彼女だった。
彼は少女をぼんやりと見つめ返した。
彼は言葉を送ることはできる。でも、そうしなかった。
頭の灯りがもう一度熱を取り戻したかのように、キリリっときしんだ。
「ポエットはね、ポエットっていうの。あなたのお名前は?」
彼の頭の前で、膝を抱えながら羽根を動かす。
少女の眼は好奇心でいっぱいだった。
ポエット、ポエット、ポエット・・・・・
果たして、少女はそんな名前だったろうか?
天使になって帰ってきてくれた少女。
彼の最も愛すべき他人。
時間があまりにも経ち過ぎていた。
少女が本当にあのときの少女だったのか、記憶がもやに包まれるがごとく、白く霞んでいたのだ。
ぎぎぎぃぃぎぎぐぎぎぎぃぃぃ・・・・・
「 」
記憶をいくら巻き戻しても、少女と交わした約束は思い出せなかった。
彼の頭には、目も鼻も口も耳も、何もない。
あるのはただの薄いガラスだけ。だれかに道を諭すための灯りだけ。
もし、彼に目があったなら、ガラスの目玉は水の皮膜に覆われたのだろう。
少女はこの世からだけではなく、彼の中からも存在を消そうとしていた。
La
LaLaLa・・・・・
彼は必死で、彼女の歌声にしがみついた。
いくら腕を伸ばしても届かない。それでも、この歌声が聴こえるかぎりは・・・・・
「名前はないの?」
天使の少女は反応のない彼に、ほんのちょっと首を傾いだ。頭上のわっかがふわりと揺らぐ。
「ねえ、それなら歌は好き?ポエットは大好きなの!」
少女は嬉しそうにそう話しかけると、彼の答えを待たずに空気を震わせはじめた。
La
LaLaLa・・・・・
幼い声。拙い音。
それは確かに少女のそれと酷似していた。
でも、彼女は少女ではない。彼は確信した。
それでも、よかったのだ。
「歌は好き?」
あのときの少女の声。
蘇った記憶の砂粒。約束はまだ思い出せない。
それでも、いいのだ。
ぎぎぎぃぃぐぐぎぎぎ・・・・
重いとびらを押し開けるように。その向こうに一筋の光が差した。
「 キ リ コ 」
自分の名前。押し込めていた記憶の一つ。
天使の少女は目を真ん丸くし、はちみつ色の髪を揺らして顔いっぱいの笑みを返した。
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